早慶戦





昨日雨で延期になった早慶戦
朝、7時に起きて準備をして、
8時に2階へ他の寮生を呼びに降りていった。
平日で授業もあるし朝は結構雨が降っていたので、
土日ほど人が来ないと見越した上での出発時間。
本当はもう少し遅くても大丈夫かなとは思ったけど。
他に行く寮生はいないかと声をかけると、
早稲田に対して、大した思い入れもない
法学部生Zが行くと言い出した。
8時に寮を出ようと言ったのはZ。
それに1年生のH君も参加。
H君とは前に早明戦も見に行った。
それから立教生の『り』ちゃんも参加。
『り』ちゃんは土曜の試合も見ているし、
立東戦や明法戦も一緒に見に行った。
大体六大学の雰囲気は掴んでいるだろう。
早稲田の応援もだいぶ覚えたと見える。
残念ながらdensiroは参加不可。
個人的事情は仕方あるまい。
東大生のmitake_oasinも前々から行きたいと
言っていたので誘ったが、3限の出席がどうのと
言っていたのと、朝起こしに行っても全く起きなかったのとで
おいていった。まぁ疲れているのは仕方あるまい。
Zの寝坊で出発は若干遅れたものの、茗荷谷のホームで
早大生のNと合流。学ラン、角帽。
下駄こそ無かったものの、学ランで行くか迷っていた僕とは違い、
さも当然であるかのごとく学ランで参戦しに来ていた。
早大生だと思った。
今日は当日券購入なので信濃町ではなく、
外苑前から神宮へ向かった。こっちのが交通費は安くすむし。
地上へ出ると雨が強くて、中止にならないか心配だった。
雨ニモマケズ並ぶ早大生。学ラン、ラグジャー、早稲田Tシャツ。
僕達が着いた時にはすでに50〜60人くらいは並んでいたか。
授業をサボって4時間前から並ぶようなやつはここにもいた。
人によっては金曜の夜から神宮に4日間泊り込みなんて
人もいるようだ。祭だから仕方ないか。まぁ前日からの雨のせいで
数自体はとても少ないが。
プレイボールは13時から。神宮に入れるのは10時から。
試合開始までの時間は応援部の演芸を見たり、
エール交換をしたり、放研の司会でバンド演奏があったり、
陣中見舞いで慶應の応援指導部がこっちに来たり、
他のカードでは見られない早慶戦ならではの
イベントがあって。
寮生Zは慶應の応援が全く分からない様子。
早稲田に1年いて慶應の応援が分からないとは。
 
13時になる頃には学生応援席もいっぱいになり、
試合が始まった。
今日は正に優勝決定戦。今日の結果で全てが決まる。
応援にも熱が入り、毎回攻撃は紺碧の合唱で始まる。
今年の打てない早稲田が、好投手3人を擁する慶應から
10安打。4得点。エース宮本は攻める慶應を3安打に抑える。
試合前は慶應のが一枚上手だと思っていたが、
早慶戦は両校実力以上のものが出るのはよく言われる
ところである。
途中早慶戦の歴史に残る珍事があったが、
試合は4−1で早稲田の勝利。
紺碧の空と都の西北が神宮に響き渡った。
試合後、エール交換の際での校歌を歌うが、
都の西北 早稲田の杜に」
というはじめの一節を歌った瞬間、
胸がいっぱいになって声を出すことが出来なくなった。
僕が再受験を決めたきっかけは他大生だったときに
TVで見た早慶戦である。そのとき、3連覇を達成した早大ナインを
囲む応援席の熱さに圧倒され、自分がその場にいないことを
心から悔やんだ。
野球が強いとか弱いとか、そういうことじゃなく、
つまり優勝した野球部は確かにかっこいいんだけど、
でもそうじゃなくて、応援席。早稲田の学生、校友、
地域の人、早稲田という地に集まった人、
なんていうか、全部合わさって早稲田なんだって。
その圧倒されるまでの一体感、これはきっと他では
味わえないんだって。あのときの思いを言葉で表しきれるほど
僕は語彙力を持ってないけれど、
校歌の一節を声にだした瞬間、あのときの気持ちから
それからの2年間が全部溢れてきて、
声が出なくなった代わりに
涙が出てきた。
隣には『り』ちゃんもいたし、その向こうにはNもいたし、
顔を見られたくはなかったから、ずっと空を見上げて、
声は出ないけれど、精一杯拳を振り上げて、
体いっぱいに早稲田を感じることができた。
紺碧の空の下に。
 
楽しみにしていたパレードは、はじめは実はそれほど楽しいとは
思わなかった。
mitake_oasinはここから参加したが、
彼もあまり楽しいとは感じなかったのではないか。
計算外であった。
それはポジショニングを誤った部分もあるし、
ソフト面で誤った部分もあった。
新宿を越えても大久保を越えても
早稲田通りに入ってもなんだか微妙な時間が過ぎたが、
けれども南門通りや大隈通りに入ると、商店街の人達が
紙ふぶき作って待っていたり、
ビールやお茶を配っていたり、
でっかいスピーカーから校歌をガンガン流していたりして、
本当お祭みたくなっていて、おめでとーって。
こういう一体感、地域の人も合わせてやっぱり早稲田なんだって。
大隈通りからグランド坂上って、構内に入って、
銅像横から隈講へ。もうすでにステージ前には1000人を越える人が
集まっていた。ステージ前から道路を挟んで正門を越えた
ところまで人ごみが出来ていた。
異様なテンションの中、セレモニーが始まり、
もう枯れて出ない声を絞り出し、
もう上がらない右腕を振りかざし、
全く見ず知らずの人と肩を組んで、
会場が一つになった。
ずっと望んでいたその一体感の中に
僕もようやく入ることが出来た。
 
集り散じて人は変われど
仰ぐは同じき理想の光
いざ声そろえて空もとどろに
われらが母校の名をばたたえん
早稲田 早稲田
早稲田 早稲田
早稲田 早稲田 早稲田
 
心のふるさとわれらが母校。