コンペキノソラノシタ 前編

 六月二日。華の早慶戦。早稲田の優勝が決まった。
 滋賀県の学生マンションで独りテレビを見ていた僕は、早稲田の
三連覇が近づくにつれて目の奥が熱くなっていくのを感じた。
九回裏が終わった時には、その目から涙を流していたことを記憶している。
涙。うれしさでもなく、感動でもない、唯々悔しいという気持ちからの涙。
ブラウン管のむこうのスタンドで応援できなかったことが、
悔しくて悔しくて仕方なかった。
 ずっとずっと早稲田に憧れていた自分に突きつけられた「不合格」。
すでに一年間、浪人生として予備校で過ごした僕は、現実を受け入れ
立命生となることしか許されなかった。とはいえ、お金のことも気になったし、
正直、二浪という響きにも抵抗があった。早稲田以外に通うことは嫌で
あったが、それでも時間が忘れさせてくれるという淡い期待を持って、
意外にもすんなりとその時を進ませることはできた。
 透き通るような白い桜の花が咲き、立命館の人間となった僕は、
与えられた環境で精一杯楽しもうとした。クラス委員もやったし、
サークルにも入った。徹夜で麻雀もしたし、資格の勉強だって始めた。
飲み会には欠かさず参加し、たくさんの友達もできた。 …空虚。
空しすぎる。寂しすぎる。
ここには隈講が無い。学注をするやつもいない。
拳を振り上げて歌うことも、肩を組んで歌うことも無い。
こぎれいなキャンパスとそれに調和した学生がいるだけで、
感動がどこにも見当たらない。やりきれない気持ちを抱え、
前期の試験が終わると逃げるように実家に帰った。
 
 八月九日。この日、再受験を決めた。
「大学は楽しいか?」
夕食のときの父親の一言に僕は答えることが出来なかった。
楽しいと答えなければならないことは分かっている。
しかし、どうしても答えることは出来なかった。
「早稲田に行きたい」
心に浮かべたのはこの言葉だけだった。四月からずっとひっかかっていた言葉。
一生懸命抑えていた言葉。消したくても消したくてもどうしても
消えなかった言葉。早稲田に行きたいという気持ちを認めたくなくて
認めたくなくてミトメタクナクテ…。周りにも自分にも、もうこれ以上
嘘をつき続けることなんて出来なかった。
この日、生まれて初めて親に頭を下げた。
 それからの六ヶ月は時間との戦いだった。何日も喧嘩が続き、
ようやく折れてくれた親の出した条件は、次の受験が本当に最後だと
いうことと、失敗して立命に残ることになったとしても、ちゃんと
四年で卒業すること。休学するわけにもいかず、受験直前にある立命
後期試験を考えると授業を切るわけにもいかない。半年間のブランクも
効いて焦りは常につきまとったが、受験を許されたという安心感は僕を救った。