3.14という円周率

色んな人のブログとか日記とか見たり、
飲みに行って話したりなんかすると、
あぁ俺もあんなことやっておけばよかったなぁとか、
過去について悔やんだりすることがある。
特に俺にとっては他人から見れば空白の二年間とも
呼ばれるべき存在の時間を過ごしたので、
その時間、もっと別のことにも使えたのではと
ちょくちょく思ったりする。
けれども不思議なことに、自分の生きてきた時間に対して
後悔というほどの言葉が当てはまるかとなると、実は全くそうではない。
俺は当たり前のことをよく考えるのだけれど、
他人から見ればだからどうした的なことをよく考えるのだけれど。
んーと。
いまを楽しむということは、刹那的でときに否定的な意味合いとして
使われたりするのだけれど、これは個人的には
間違いだと思い、時間が流れそれが繋がっている以上、
刹那的なものには成り得ないのだと思う。
後悔というのは過去のあのときのことを悔やんで
現在のこのときがうまくいってないから起こる感情。
現在がうまくいっていれば起こることはない感情だと思う。
少なくとも後悔という言葉が当てはまるような感情は持ち得ないと思う。
ただそれにはI can fly.と言って飛び出すような、
空も飛べるはずと恥ずかしげもなくカラオケしてしまうような、
ある種楽観的で、ある種狂信的で、ある種バカげた強さとも呼べるものが
必要とされるのかもしれない。