親の心、子知らず。子の心、親知らず。

今日は久しぶりに電話で父と話しました。父の誕生日だったからです。
「おめでとう」の次に出てくる言葉が見つかりません。うん、まぁそんな
もんです。あまり家族と話すことはないです。別に嫌いとかそういう
ことじゃなくて。僕がおめでとうというと、父は「お金送ってくれたか?」
って。僕が送ってほしいくらいなのに。誕生日プレゼントなんてのは
僕が中学にあがるときくらいから貰ってません。お金をくれるときは
ときどきあったかな。僕が浪人していたときなんかは家族全員が僕の
誕生日を忘れていましたから。まぁそんなもんです。リアルに忘れて
ましたよ。
僕が今の大学を再受験したいと言ったときに母と対照的に父は最後まで
反対しました。経済的な面でってことで。僕自身も無理言ってることは
わかってましたが、それでもどうしてもね。頼んで頼んで、ようやく
許可を得ましたが、父は再受験に対して応援してくれるという姿勢を
見せてくれませんでした。受かった後も決していい顔はせず、今も
実家に帰るとなんとなく後ろめたい気持ちがあるのは事実です。うん、
なんとなくです。そんなに気にかかってるわけではないです。僕は
いつも自分が相手の立場だったらということを考えながら生きている
つもりです。あくまでつもりなだけかもしれませんが、このときも
自分の子供が再受験したいとか、そんなことを言ったらどうする
だろうということをシミュレーションしてたりしました。もちろん
僕は子供が言ってきたら財政がどうのこうので反対することは
ないだろうし100%応援するだろうから、父の姿勢に賛同することは
できません。けれどもなんていうか価値観の違い?そんなような
ものがあることも当たり前で。これは相手の立場に立つってことがあまり
意味をなさなくなるのだけれど、それでもどうしようもないことで。
僕と父はそういった考え方の差が大きい分、賛同の姿勢を見せてくれなく
っても許可してくれただけで相当頑張ってくれたんだなということも
感じます。もちろん現在の生活の大部分は父に頼っているわけですし。
やはり「おめでとう」の次には「ありがとう」がくるか。